四月の風

君に会えた四月の風

ご愛読ありがとうございました。最後に、あの懐かしの妄想物語を…。

さて、いよいよ平成最後の月となりました。

平成と令和をまたぐ形で岡村ちゃんのツアーがおこなわれるとは、2006年の段階では夢にも思いませんでした。

平成の最初から最後まで、岡村ちゃんのファンでいられたことは、勝手に苦しいこともたっくさんありながら、結果本当に幸せだったと思います。

平成の終わりとともに、私のこのブログも終了です。エレカシファンになって、自分の語彙が全くエレカシの音楽に追いつかないことにもがき苦しみ、鬱々としておりましたが、まだまだエレカシに関しては浅瀬でパシャパシャと小魚をとっている程度の、ちびっこファンですので、これからも内にこもりながら聴いていきます(笑)

そして岡村ちゃんの新しいファンがこれだけ増えた今、おばちゃんは静かに退場することにいたしました。

 

そこで、以前のブログ「アイツと、読書と、音楽と」で書いていたお話を最後に載せて終わりにしたいと思います。かなり賛否両論あったものですが、自分では気に入っておりますので(笑)。人が見たらきっもち悪いことこの上ないですし、完全に頭の中はお花畑ですし…。しかし、新曲が出たとき、アルバムが出たとき、その時期その時期の岡村ちゃんに関するネタを詰め込めるだけ詰め込んだこの妄想話、叩かれながらも4作も書いているところに自分の意地と、岡村ちゃんに対する気持ち悪めの愛情を感じ、ちょっと取ってこうかな、と。

 

ではでは、おそらくこれを読んでくれるのは「アイツと、読書と、音楽と」を読んでくれていたマニアックな方々だと思います。長い長いおつきあい、ありがとうございました。この物語の続きが、私たちにとっても岡村ちゃんにとっても、末永く幸せな状態で継続していきますように。

 

 

『ビバナミダ』

彼とつき合い始めてから3度目のクリスマスがくる。
もちろん、妻帯者の彼と一緒にクリスマスを過ごしたことは、まだない。そして今年も、ない、だろう。
彼と知り合ったのは、私がこの会社に派遣されてからすぐ。隣の部署だった彼に、必要以上に仕事を頼まれるようになってから、深い関係になるまではさほど時間はかからなかった。いつものことだ。私が働く上でいつも心がけたことはただ一つ。会社も男も、後腐れのないように別れること。

退屈な事務処理を適当に済ませ、これほど大きな会社なのに、電話ボックスほどのスペースしかない喫煙室で私はいつものように休憩をとる。煙草が好きなわけではない。狭い空間に身をおきたいだけ。
それと、この場所からは、あそこが良く見える。

もう何度かよっただろう、向かいの和菓子屋さん。部長が甘いものに目がないから、三時のおやつにはよくあそこに和菓子を買いに行かされた。そのおつかいも、もうすぐ終わりだ。
そんなことを思っていると、またいつものようにアイツがお店のおやじさんに怒鳴られる声が聞こえる。
「ヤス、何度言ったらわかるんだ。試食に丸々ひとつ売り物の大福をくれてやるやつがあるか!ちゃんと試食用の形の崩れた菓子があるだろうが!今の大福代も、おまえの給料から引くからな!」
「はい。わかりました」
何回同じことで叱られるんだろう、大きな身体を小さくして謝る姿がかわいらしくて、つい笑ってしまう。

あの日もそうだった。社内で彼の奥さんから電話がかかってきたとき、奥さんのご機嫌をとっている彼の姿を見ていたらなんだか何もかもどうでもいいような気がしてきて、和菓子を買いにいくふりをして、お店の横の路地で私はこっそり泣いていた。
「お母さん、いやだよ僕、あんこ嫌いだよー」
「ひろし、そんなこと言ってお母さんを困らせないで。お婆ちゃんはここの大福が大好きなんだから」
「僕はケーキが食べたいの。いちごがのったケーキ!」
そんな親子の会話が聞こえてきた。店の中をこっそりのぞいてみると、アイツがにこにこしながら男の子の頭を撫でている。
「ひろしくん、あんこが嫌いってほんとにぃ~?」
「大嫌いだよ!」
「そっか。このお餅の中には、ケーキが入っているのになー」
「えー、嘘だよ!そんなの見たことないもん」
「じゃあ、目をつぶって、大きな口あけて食べてごらん」
しぶしぶ大福を口に含んだ男の子は驚きの声をあげた。
「わー、ケーキの味がする!」
アイツが男の子に食べさせたのは、生クリームがたっぷり入った、この店自慢のいちご大福だった。
「だろー!お兄さんはね、あまーいチョコよりも、こっちが好きなんだ」
「僕もこれなら食べられる!」
そう言って、たくさんお土産にいちご大福を買っていったんだっけ、あの親子。
そして、隠れて見ていたつもりの、まだ涙の跡が乾かない私にも、そっと一ついちご大福をくれた。
「だいじょうぶ?」
と一言だけ声をかけて。

たまには自分のためにお菓子を買っていこうか、ここにもあとそんなに長くいれそうもないし、そう思いついて会社帰りに和菓子屋によると、そこには小指をたてながら、勢いよくティーカップの紅茶を飲むアイツがいた。
「あ、休憩中ですか?」そういうつもりが「なんですか?その紅茶の飲み方は?」ついつい聞いてしまった。
「え?僕の紅茶の飲み方、変わってますか?僕なんかいつもこんな感じですよ」
おかしい人。もう、ほんとおかしい人。
そう思っていたら、気が緩んできて、あっという間に私はお店の中で泣き始めていた。しかも号泣だ。
アイツは何も言わなかった。私が落ち着くまで店の隅っこにある可愛らしい座布団に座らせておいてくれた。
「つらいですか?」
そう声をかけられたのは、お店が閉店して、シャッターを閉めた瞬間だった。聞き違いかと思った。
「つらいですか?」
「つらいです」
「やっぱりつらいんですか。」
「はい。つらいんです。このお店に寄れるのも、あと少しだと思います」
なんで正直に答えちゃってるんだろう私。恥ずかしくなって、この間の大福のお礼すら言えず、お店を飛び出した。
それからしばらくは、向かいの和菓子屋には行かなかった。おつかいを頼まれても、お菓子は少し遠いお店に行って買うようにした。たまにはバターの効いた洋菓子もいいですよ、おいしいお店みつけたんです、とかなんとか理由をつけて。
そして私は年内中に退職することを彼に告げた。彼のほっとした顔を私は見逃さなかった。

会社を辞める前に、アイツの顔がみたい、そう思い、退職直前に勇気をふりしぼり和菓子屋に行った。
そこにアイツの姿はなく、口うるさいお店のおやじさんだけがぽつんと座っていた。
「今日は部長さんに何をたのまれたんだい?」
「ごめんなさい。今日はあのバイトの人に会いにきたの。ほらおじさんがヤスって呼んでいた」
「あー、あいつなら辞めたよ。もう半月になるかな。なんだか音楽活動に専念するとかって、かっこつけたこと言いやがってさ」
「え?あの人、ミュージシャンなの?」
そういえば、ギターケースを抱え、大きなリュックサックを背負ったアイツによくにた男性を、夜遅くに近所で見たことがあった。あれはアイツだったんだ。
私がぼーっとしていると、おやじさんが折り皺のたくさんついたチラシを見せてくれた。
「あいつさ、宣伝するなら、もっときれいな紙でよこせっていうんだよね。店の隅っこにでも貼ってやるっていうの」
そこには、ライブのお知らせが書かれていた。
日付は今日。12月23日。
「おじさん、この紙もらうね!」
返事も聞かずに私は走った。走って走って、心臓が口から飛び出そうなくらい走って、ライブハウスの中まで駆けていった。受付でお金を払うのももどかしく、いざ会場の入り口に立った時、私、何やってんだろう、と一気に顔が赤くなった。もう帰ろう、そう思った瞬間、受付の人が会場の扉を開けた。突然開け放たれたドアに、お客の何人かが文句を言ったが、そんなことに構っていられなかった。私はステージ中央に立つアイツの姿に目をうばわれた。

アイツはスーツを着ていた。いつもは変な子供の絵本からとってきたような柄のTシャツばかり着ているのに、そこにいたアイツは、黒のスーツを着こなした、メガネの似合う私の知らないアイツだった。
私、来るんじゃなかった、そう思った瞬間、アイツと目が合った。
そして彼は言った。
「新曲やります」
その一言で、観客は大騒ぎになった。
岡村ちゃんが喋った!」
「新曲なんて、6年ぶりだぜ!」
「今日来て、ほんとラッキーだね」
曲が始まると同時にライブハウスそのモノが突然生命を吹き込まれたように、うねり始めた。その力に私は圧倒された。私は、自分でも理由のみつからない涙を流し始めた。
その時、彼が私の目の前に歩み寄ってきた。周囲がざわつく。そして彼は歌った
「ビバナミダ こぼれおちてゆけばいいじゃん 無駄じゃない とまらない今の君が好き ナミダナミダ」
アイツは私の涙を手でぬぐいながら、こう歌った。
「その涙、僕に委ねてくれないか。七転び八起き。ともに行く また最高ってきかせて。ナミダナミダ。サイチェン」
サイチェンって聞こえたけど、それって中国語の再見?そして七転び八起きって、いったい?

そこから先の記憶が私にはほとんどない。気絶して、係の人に楽屋に運ばれて、気づいた時にはいつもの姿のアイツがいた。
「あなた、スーパースターだったのね」
私がそう言うと、アイツはフフッと笑い
「全然そんなことないですよ」
と謙遜してみせた。
「ううん。少なくても私には、今日のあなたはスーパースターだった」
ひとつぶだけこぼれ落ちた涙を、彼はくしゃくしゃのハンカチを大きなリュックから出してふいてくれた。
「その涙 僕に委ねてくれないか?」
そう歌う彼に、私はちょっと恥ずかしくなり
「七転び八起き、ね」
恥ずかしさをごまかすため笑った私に、彼はまじめな顔で
「あの、よかったら、24日僕と‥」
そう小さな声で呟いた。
時計を見ると、日付はもう24日に変わっていた。私の中の時計も大きく時間が動いたみたいだ。
「ひとつだけお願いしてもいいですか?」
「ん?なに?」
「あのライブの時のスーツを着てデートしてもらいたいの」
彼はまたフフっと笑って
「いいですよ。場所は合羽橋とか浅草でもいいですか?」
クリスマスイブに合羽橋かー。それもいいかも。とってもいいかも!
「それとあとひとつ。あなたの名前、まだ聞いていないんですけど」
「シンガーソングライターダンサーの岡村靖幸です」

 


『ちぎれた夜』

外国人観光客であふれる合羽橋でデートをしたのは、もう一年前になる。
会社のおつかいを頼まれ、よく通っていた和菓子屋にバイトをしていたアイツに
出会ったのは、もう一年以上前になるのか。
当時私は苦しい恋愛をしていた。今となってはそれが恋だったのか愛だったのかすらわからないような苦しいもの。そんな日常にふと入り込んできたのが、当時会社のそばの和菓子屋でバイトをしていたアイツだった。

名前は岡村靖幸。本人曰く、シンガーソングライターでダンサーでもあるそうだ。
アイツを知った時、私はテレビも見ない、ラジオも聞かない。音楽といえば昔の彼氏が家に置いて行ったアナログのレコード盤に針を落とすくらい。
だから初めてライブハウスでアイツが歌っている姿を見た時には驚いた。こんな音楽もあるのかと鳥肌がたった。
その翌日、約束どおりステージ衣装のスーツを着込んだ彼は、姿は違っても、またいつもの見慣れた「バイトのヤス」に戻っていた。食品サンプルのレタスを嬉々として作り、珍しい台所用品を見つけては、店の人をつかまえて質問攻めにする。
それがまたスーツ姿だけに目立つのだが、どうやら本人はまったくそういうことは気にしないようだ。
驚いたことに、何人もの人が「あ、岡村ちゃんだ!」とアイツを指差していく。
「あなたやっぱりスーパースターなんじゃない?」
と私が面白がって言うと
「柔軟剤買っている時まで指を差されるからびっくりしますね。」
と少し困った顔をする。そんな困った顔をいつまでも見ていたい、と思ってしまう自分に、私は正直戸惑っていた。

年末に会社を辞めた私は、年明けから浅草の小さな花屋でバイトをするようになった。元々私は花が好きだった。殺風景な自分の部屋にも必ず花だけは飾っていた。私のおじいちゃんは花を育てるのがとてもうまくて、いつも田舎の庭には四季折々の花が咲いていた。近所でも評判の花が溢れた庭で、私はそれがとても自慢だった。私が遊びに行くたびにおじいちゃんは花の名前を一つ一つ丁寧に教えてくれた。その花の名前と一緒に、必ずおばあちゃんとのその花にまつわる思い出もこっそりと教えてくれた。それぞれはほんの些細な出来事だけれどそこに花が交わることで、その思い出も私には色づいて感じられた。私の名前も忘れてしまったおじいちゃんは、最後まで花の名前とおばあちゃんの名前だけは忘れなかった。だから私はそのさまざまな思い出を引き継いで花と一緒に飾っている。

3度目のデートで、夢中になってパスタを食べながら、その様子をスマホのカメラで写している彼に、芸能人って不思議な生き物だなーと思いながら、
「私、花屋で働くことにしたの。」
と何気なく彼に報告をすると、
「へぇー。いいですね、お花屋さんか。へぇー」
へぇーを何度も繰り返す彼は、この世に花屋が存在することを初めて知ったかのような顔で感心して見せた。
「なぜ花屋なの?」
そう問う彼に、私は
「秘密。私とおじいちゃんとの秘密なの。」
そんな風に笑ってこたえた。

その次の日からである、彼の花屋通いが始まったのは。
私はまだ見習いなのでお店に立つことは少なく、奥で作業をしていることが多い。
「ごめんください。お花をいただけますか。」
人が3人も入ればいっぱいの小さな花屋に、彼はひょっこりあらわれる。
決まった時間などない。でも毎日必ずやってくる。
最初は店長が応対していたのだが、途中から私の知り合いだということに気がつき、奥の作業を交代してくれる。
「今日は何のお花にしますか?」
そう聞くと、彼は決まってこう答える。
「あなたが選んでくれますか?」
そこから私はなるべくその季節ならではの花を選ぶ。いくつかの種類を組み合わせることもあれば、たった一輪の花だけにすることもある。
「この花の名前はなんですか?」
お金を支払う時に花の名を質問する彼は、私がその名を口にすると数回繰り返し呟いては
「素敵な名前ですね」
とか
「全然想像もつかない名前ですね」
といった感想を言って、にっこり笑って帰っていく。その笑顔が私はたまらなく好きだった。

普段テレビを見ない私が、その番組を見たのは本当に偶然だった。
ニュースを見るつもりでつけたら、アイツが私でも知っているアイドルグループと歌っていた。そこにいる彼「岡村靖幸」はもう、私の知っている彼ではなかった。
「カリスマ的存在のミュージシャン」と紹介され、全く緊張の色も見せず、彼は絶対他の人には歌えないような独特の歌い方と、そして見たことのないようなダンスで、その日本のトップグループとも言えるアイドルたちを驚かせていた。
その姿はあまりにも遠く、テレビ画面というフィルターを通して見る彼を私は自分とは違う世界の人だと結論づけてしまった。

それから私は、花屋に行っても店頭に出ることはなかった。
彼がお店に来て、店長に応対を促されても、ちょっと今手が離せないので、と言っては避けるようになった。それでも彼は毎日花屋に通ってきた。でも前と違うのは、自分で花を選ぶようになったことだ。花の名前を聞くこともなくなった。

私は休みをとって田舎に帰った。おじいちゃんがいなくなってからは、すっかり庭も様変わりをしてしまった。それでも写真好きの父が暇を見つけては庭の写真を撮っていてくれたおかげで、おばあちゃんとアルバムを見ながら咲いていた花たちのこと、そしてその世話をするおじいちゃんのことを思いだしては泣き笑いしていた。しかしその花の思い出に、いつしかアイツが買っていった花の思い出が加わっていることにも私は気づき始めていた。

「おーい、お客さんだぞー。」
父の声のする方を見ると、庭のむこうにアイツが立っていた。
「素敵なお庭ですね。」
「いや、父が生きていたころは、もっと華やかだったんですけどねー。」
頭をかく父を押しのけ、私はアイツに歩み寄る。
「どうしたの?」
アイツは一冊のアルバムを持ってきた。
「花の名前を知りたくて。」
そこには、今まで花屋で買った花の写真がすべて貼ってあった。日付と花の名前入りで。しかし、あの日を境に、その花の名前の部分には付箋が貼ってあり、花の名は書いてあるものの、その隣にクエスチョンマークも書かれている。
「僕に花の名前を教えてください。そしてよかったら、その花の想い出も一緒に。」
彼は気づいていた。花への私の思いにいろんな要素が混じっていたことを。
実家の私の部屋で、私は彼が持ってきたアルバム一つ一つの花の名前を付箋をはが
しながら書き込んでいった。そして祖父が語った祖母との想い出も一緒に語った。
彼は黙って聞いていた。少し困った顔をしたり、驚いたりしながら、うんうん頷い
て聞いていた。全て名前を書きこんだときには、すっかり日が暮れていた。
これからレコーディングがあるので、そういってアルバムを大きなリュックにおし込み、彼は帰っていった。
「またあの花屋に戻ってきてくれますよね。」
心配そうな顔と、そんな言葉を残して。

翌日から私はまた花屋のバイトに戻った。
そして彼もまた、毎日花を買っていった。花の名前を聞くことも忘れなかった。
それからも、たびたびテレビで歌う彼の姿を見るようになった。カリスマと呼ばれ歌い踊る姿は、やっぱり今の私には遠い存在かもしれない。でもあのアルバムを抱えて会いに来てくれた彼もまた、実在するアイツなのだ。
花を買いに来てくれる、ただそれだけでいいのかもしれない。アルバムに花の写真が増えていく、そのことを大切に今は毎日を過ごしていこう。


『幸福』

アイツとのつきあいも、もう3年になる。
変わったことと言えば、私の部屋に歯ブラシが一つ増えたことと、同じ柄のTシャツがたくさん増えたこと、そして大量のレコードが持ち込まれたことくらい。これでも後輩にだいぶプレゼントしたんですよ、といいながら、驚くような枚数のレコードを抱えてきた彼は、ちょっと照れたような、誇らしいような顔をして笑っていた。
「こんなにたくさんのレコードがあるんじゃ、1階に引っ越した方がいいかもね。底が抜けちゃうわ。」
と笑う私の冗談を真剣に受け止めた彼は、あっという間に不動産屋さんに連絡をして近くのマンションの1階を借りてきた。

「花を植えたら素敵じゃないかしら?」
そう言いながら、ちょっと自慢げにカーテンを開けて見せてくれたそこには、小さなかわいらしい庭があった。
毎日家には寝に帰るだけの生活を続けて10年以上経つ。
「庭のある暮らしというものも選択できたのね。全然私そんな選択肢があることさえ忘れていたわ」
そう言うと、
「僕だってそんな選択肢があるなんて思ってみたこともありませんでしたよ。あなたのおかげです」
とアイツはにっこりと微笑んだ。
「なんの花を植えるか決めなくちゃね」
生活の中の変わらないことを挙げた方が断然多い。私はまだ花屋で働いているし、彼は音楽の仕事を続けている。
そんな変わらない関係性が私には心地よかった。
そう、私は幸せだった。

花屋からの帰り道、立ち寄った本屋にその本はあった。
最初はピンクのかわいらしい装丁に目がいった。
岡村靖幸 結婚への道」
本を手に取ろうかどうしようか迷っていると、次々と
「あった!サイン本ここにあった!やったー。3軒目にして買えたよー」
と女の子たちが嬉しそうにアイツの名前の横にハートのマークが描かれた本を買っていく。
私はサイン本ではないものを選び、レジに持っていった。そして夕飯も食べずに近くのコーヒーショップで閉店近くまでかかってその本を読んだ。
その中で、彼はまだ「出逢っていない」運命の人のことを語っていた。
読んでいくにつれ、私の胸は少しずつ痛みが増していった。
その時初めて、自分がアイツの運命の人なのかもしれない、なんてほんの少しでも思っていたことに驚き、恥ずかしさでいっぱいになった。
「スーパースターだもんね、あなたは」
本を閉じ、そのままコーヒーショップのテーブルの上に置いて、私は外へ出た。
いつの間にか、風が冷たく感じる季節になっていたんだね。そんなことにも私気づいていなかったんだ。
こんな日に限って月の光はまぶしくて、私の涙を隠してはくれない。

「ちょっといそがしくなります。」
彼はそんな簡単なメールを寄越して、家に来なくなった。
私の生活は、またいつもと変わらない単調なものとなった。花屋で花を売る。ただそれだけ。外の景色を楽しむ時間すら忘れてしまっていた。

久しぶりのお休みの日、お天気もいいし、部屋の掃除でもはりきってやるか。アイツのものなんか捨てちゃおうかな。
ちょっとそんないじわるなことも考えつつ、勢いよくカーテンを開けるとそこには植えたはずもない花がたくさん咲いていた。
カランコエだった。ピンクや黄色い小さな花が一斉に咲いていた。
よくみると、花の横に小さな木の箱が置いてある。中には一通の手紙が入っていた。
「この花が咲くころ、あなたに贈りたいものがあります。11月15日の朝刊を見てください」
そう書いてあった。
やだ、今日じゃない!
慌てて新聞受けから新聞を取り出し、小さな記事を次から次へと見ていった。私やアイツに関係しているような記事は一つもない。
いったい何が載っているのよ。そう思って新聞をめくった瞬間、私は息が止まった。
そこに飛び込んできたのは、カラーの全面広告。岡村靖幸ニューアルバムの発売予告だった。
仕事中は絶対にしないと決めていた電話。でも、今日だけは許して、と思いながらアイツに電話をかけた。
「もしもし」
その声を聴いたとたん、私は何もしゃべれなくなった。
「あ、新聞見てくれたんですね。ってことは、あの箱にも気づいてくれましたか?」
うんうん、としか言わない私にアイツは
「あなたの本もちょっとお借りしました。箱の中に一緒に入っていますから。
 実物が出来たら持っていきます。まだレコーディングの最中なので。」
と言って電話を切った。
本?もう一度箱の中を見てみると、そこには私がボロボロになるまで読んだ「花言葉辞典」が入っていた。
花を買いにくる人は、贈り物としての花を買っていく。その時に、花言葉を一言添えてあげるとお客さまにとても喜ばれるのよ、そういって私が彼に見せた本だ。

カランコエのページには、付箋が貼ってあった。
花言葉は「たくさんの小さな想い出」「ときめき」「幸福を告げる」そして「あなたを守る」。
幸福の文字には大きな丸がついていた。
あ、アルバムのタイトル…。
慌ててもう一度新聞を見た。大きな文字で「幸福」と書いてあった。


「『幸福』の先にあるもの」

カレンダーにしるしをつけたことなんか、子供の時以来だ。
昨年の新聞広告を見て、慌てて来年のカレンダーを買い、壁に貼る。
1月27日に丸印をつけ、幸福と小さく書き添える。

アイツに久しぶりに会ったのは、松の内も過ぎた頃。ひょっこり夜中に部屋を訪ねてきた。
「これから初詣に行きませんか?」
どうやら近所の小さな神社に一緒に初詣に行けたらいいね、と去年散歩しながら話をしたのを憶えてくれていたようだ。
「今から初詣なんて、神様に笑われないかしら」
そういうと
「案外神様は寛大なんですよ、そういうところ」
とアイツは真面目な顔をして答えた。
急いで支度をして、歩いて5分の神社にむかった。
私が熱心に手を合わせていると、不思議そうに
「何をそんなにお祈りしているの?」とアイツが聞いてくる。
「言ったら叶わなくなっちゃうから、秘密よ。」
私がそう言うと、彼は自分でも真剣な顔をして手を合わせた。
何を祈っているの?そう聞くことができたらどんなに楽だろう、横顔を見ながらそう思っているとそれをまるで知っているかのように、アイツは微笑ながら
「秘密よ!」と少しおどけてみせた。

その日、カレンダーに印のついたその日は、朝から何も手につかなかった。仕事も休みだというのに、朝の5時から目が覚めてしまい、そこからいったい自分が何をしていたのかもあまり憶えてはいない。
とにかく朝の早い時間に玄関のチャイムが鳴った瞬間、私が勢いよくドアを開けて、アイツにぶつかりそうになったことだけは憶えている。
「約束どおり、一番に持ってきましたよ。」
彼が差し出した茶色い封筒、そして封筒の下に「Y.O」と書かれた文字を見て、私は全てを思い出した。
「まさか、あなたがあの時のお兄ちゃん?」

それはまだ私が幼稚園に通う前の話。
実家の敷地には小さなアパートが建っていた。祖父と祖母が建てたほんとうに小さな、アパートと言うより下宿屋といった感じの建物だった。
私はよく庭で花の手入れをする祖父母にくっついて、隣で泥遊びをしていると、アパートの一室からギターの音が聴こえてきた。
テレビやレコードから聴こえてくる音とは違い、生で聴くギターの音はとても魅力的だった。
特に夏場などは、部屋にクーラーなどない時代だったので、その部屋の住人はドアを少し開けてギターを弾いていた。私はこっそり覗いては隠れ、覗いては隠れ、を繰りかえしていた。

もちろん、そんな子供のすることを、その住人が気づかないわけもなく、私がドアのそばにいる時には童謡などをギターを弾きながら歌ってくれていた。しかし歌詞がいつもあやふやらしく
「なんとーかなんとーかーなんとーかーだー」
とあからさまに誤魔化して歌うので、ある日、意を決した私は
「違うよ!そのお歌は、こう歌うんだよ!」
と扉を開けて歌ってみせた。
「お、仔猫ちゃん、歌がうまいねー。才能あるじゃん!」
そう、その頃の私はまるで仔猫のように転がりまわって遊んでいたので、祖父母が「うちのかわいい仔猫はどこに行ったー?」などとふざけて私を呼んでいたのを、お兄ちゃんは聞いていたのだ。
扉のむこうにいたお兄ちゃんは、そのギターの音と同じくらいかっこよかった。
私はとても恥ずかしくなって、祖父のところまで駆けていき、その大きな背中に隠れた。
そんなことを何度も繰り返していた。はっきりと顔を見るのも恥ずかしいのに、どうしてもそのギターの音が聞きたくて、お兄ちゃんのそばにいたくて。今思えばあれが私の初恋だった。

そのお兄ちゃんは一年ほどアパートに住んでいた。
ある日、私が庭で遊んでいると、紫のコートを羽織り、ギターケースを抱えたお兄ちゃんが私のそばにきた。
「仔猫ちゃん、今日でお別れだよ」
「なんで?嫌だよー」
わけもわからず泣く私に、お兄ちゃんはひとつの茶封筒をくれた。
「これはね、僕のギターの音が入っているカセットテープだよ。僕は東京で有名になるからね、その時まで大事に持っていてくれるって約束してくれる?」
「嫌だ!私はゆれるお年頃なんだから。だめー。いなくなっちゃだめー。」
と、テレビドラマで憶えたお気に入りの言葉を使って、精一杯泣きながらお兄ちゃんをひきとめた。
「揺れるお年頃かぁー。かわいいなぁ。じゃあ約束だ。僕が有名になったら、『揺れるお年頃』ってお歌を作るから、僕を見つけるんだよ」
そういって彼は、私の祖父母や両親に挨拶をしてアパートから出ていった。

泣き止まない私に、両親はお兄ちゃんが残してくれた紫色のカセットテープを聞かせてくれた。
それはいつも聞いていたあのギターの音がした。そして歌詞があやふやなままの「赤とんぼ」も入っていた。
私は毎日毎日そのテープを聞いては、茶封筒にしまい、を繰り返していた。


「ちょっと待って!」
私は押入れの奥から箱を出し、ふたを開けた。そこには「Y.O」と書かれたボロボロになった茶封筒が入っている。
「あ、懐かしいなぁ。持っていてくれたんですね。」
「あなたはいつから気が付いていたの?」
「あなたの実家に行った時からですよ、ほら花のアルバムを持って」
そうか、あの時。父や母がすんなり彼を家に招き入れたことにも気づかないくらい、私、驚いていたんだった。
「今日は約束を守るために来たんです。開けてみて!」
アイツが持ってきた茶封筒を開けると、そこには小さいけれど持ち重りのするBOXが入っていた。
私は立ったまま、急いてBOXのフィルムを剥がした。そしてその中に入っているCDを見る。
4曲目「揺れるお年頃」。
「キミに一番に見せたくて、今日までファンのみなさんにも曲目は秘密だったんですよ。」
うちにレコードしかないことを知っている彼は、携帯プレイヤーを持ってきて、
「聞いてみてください。」
と言った。それから私は一曲目から順番にアルバム「幸福」の曲を聴いた。
「あ、猫のあくびって?」
「よく仔猫ちゃんは、僕の部屋の前で大きなあくびをしていたでしょ。」
ギターの音があまりに心地よく、私は扉に寄りかかっては、何度も何度もあくびをして居眠りしそうになっていたんだっけ。そんなことまで憶えていてくれたんだ。
CDを聞き終え、写真集を見て、そしてDVDも見終わろうとした、その時
「ゆうやーけこやけーの赤とーんーぼー」
画面の中のアイツがギターを弾きながら歌っている。
「あなた、まだ歌詞があやふやなんじゃない」
笑ったつもりが、大泣きしていた。まるであの時お兄ちゃんがアパートを去った時のように、私はあの頃の自分に戻って大泣きした。

「さあ、神社にもう一度行きますよ」
アイツがそう言った。
「願いが叶ったら、神様にお礼を言いに行くんですよね?」
「うん。私もお礼を言わなくちゃ。」
そう。私は一度に二つのお願いが叶ってしまったんだから。
無事にアルバムが出ますように。
そしてもう一つ、あのギターのお兄ちゃんにまた会えますように。
「あ、あなたのお願いは何だったの?」
「秘密です!でも願い事はこれで最後にするんです。一番大事な願いは、自分で叶えるよう努力します。」
そう笑顔でこたえるアイツの顔を見て、私は心から思った。
「寛大な神様、もう一つだけお願いしてもいいですか?
 この人の「幸福」がずっとずっと続きますように。そしてその「幸福」をずっとずっと側で見ていられますように」と。